中華民國106年国慶節祝賀レセプション挨拶 2017.10.6
ご臨席の皆様こんばんは。本日は大変お忙しい中、九州・山口各地から大勢の方々のご臨席を賜り、心から厚く御礼を申し上げます。
さて、4日後の10月10日、我が中華民國(台湾)は建国106年の国慶記念日を迎えます。20世紀の初頭、中華民國建国の父・孫文は清朝を倒して共和制の樹立を目指すため、日本を根拠地に革命運動を推進しました。孫文の革命に対する日本人の支援、中でも九州人の活動は際立っており、熊本県荒尾の宮崎滔天、福岡の玄洋社・頭山満、長崎の梅屋庄吉などの支えがなければ1911年の辛亥革命は成功しなかったといっても過言ではございません。
来年は明治維新から150年にあたり、西郷隆盛を描いた「西郷どん」がNHK大河ドラマに登場することで、九州各地においては関連行事やイベントでバラ色になることでしょう。
台湾では蔡英文政権が船出してまもなく1年半を迎えますが、決してバラ色とはいえないのが現状です。中国との「1992年合意」を認めようとしないことに対し、中国は台湾への圧力を強め、観光客を大幅に減らし、WHO(国際保健機関)などの国際組織から台湾を締め出し、莫大な援助金と引き換えに台湾承認国に断交を迫るなど、台湾を苦しい立場に追い込んでいます。しかしながら、こうした状況においても、我が国と日本との関係は何ら変わることはありません。台湾では、先月9月18日に、実に16年ぶりに日本産牛肉の輸入が解禁となりました。九州には、先日の「全国和牛能力共進会」において日本一となった種牛の部の豊後牛、肉牛の部の宮崎牛、団体表彰の鹿児島牛がありますし、他にも著名な和牛ブランドがたくさんありますので、より一層の交流が期待されるところです。良好な関係の基礎の上に立ち、これまで以上の前進と発展をすることができると確信しております。本日ここ九州福岡において、常日頃から我が国をご支援頂いている皆様とともに、中華民國の106回目の誕生日をお祝いできますことを、大変嬉しく光栄に存じております。
私は、2013年3月29日に総領事として福岡に着任し、あっという間に4年半が経ちました。この4年半で、鹿児島100回、熊本110回、宮崎80回、大分70回、佐賀60回、長崎50回、山口60回と、九州・山口の各地を訪問し、公用車の走行距離は12万キロを超えました。表敬訪問した市町村は、人口1万人以上のところでは60ヶ所以上にのぼり、どこを何回訪れても素晴らしい場所ばかりです。中でも特に、東京のような大都会にはない温かい人情と友情、これこそが醍醐味でございます。今から34年前の1983年、鹿児島県金峰町でのホームステイがきっかけで、私と九州との縁は始まりました。それ以来ずっと九州のファンであるわけですが、まさか福岡辦事處の處長として九州とこんなに深く関わることになるとは夢にも思いませんでした。改めて「縁は異なもの味なもの」とつくづく感じている次第です。
お陰さまで、この4年半、台湾と九州・山口との経済・貿易・観光・文化・芸術・スポーツ・青少年などの交流は、大幅な進展を見せ、非常に良い関係を築いています。
よく台湾は世界一の親日国家であるといわれますが、それを裏打ちする2つの数字があります。その1つは2011年3月11日の東北大震災に際して台湾から寄せられた250億円の義援金です。この金額は、もちろん世界一です。近年世界中に地震や水害などがあり、台湾は多くの義援金を提供していますが、どこに対するものも日本への義援金とは比べるべくもありません。しかもその殆どが市民が自発的に持ち寄ったものであることに大きい意味があります。当時の馬英九総統と総統夫人も大震災の翌日から募金活動の先頭に立ちました。
もう一つの数字は2016年に台湾から日本へ来た観光客が429万人に達したというものであります。絶対数では中国、韓国に次ぐものでありますが、台湾の人口2300万人の実に5人に1人が日本へ来たことになり、人口比では断然トップです。私が着任した4年半前の来日観光客数は300万人でありましたので、そこから毎年50万人ずつ増えてきたことになります。
このような親日感情がどこから来るのか、なぜ台湾が世界一の親日国なのかという理由を私は4年半ずっと考え続けてきました。
そこで行きついたのが台湾人が好んで口にする「日本精神(リップンチェンシン)」という言葉です。これは日本統治時代に台湾人が身に付け、戦後大陸から来た中国人が持ち合わせない精神として誇りにしてきたものであり、具体的には「勇気」、「誠実」、「勤勉」、「奉公」、「自己犠牲」、「責任感」、「遵法」、「清潔」などを指します。この精神は日本統治時代の50年間を通じて、現在90歳以上になる「日本語族」に浸透し、彼らが家庭で子供たちに教えることによって台湾で伝承されて来たものであります。
その共通の50年の間に、台湾で生まれ台湾で育った日本人が大勢いるわけですが、その方々は「湾生」と呼ばれています。台湾では昨年、「湾生回家」というタイトルで映画化され、大きな反響を呼びました。彼らは「日本語族」同様、平均年齢80~90歳です。現在日本全国に約20万人がおられ、縁あって私が4年半を過ごした九州・山口には、約2万人がご健在で、今でも台湾との交流を続けておられます。ある所で私の講演を聴いて下さった方が、嬉しそうに「私は湾生です。」と駆け寄ってくれた時のことが今でも忘れられません。彼らは、戦後日本に帰国してからも台湾のことを故郷といい、台湾のことを一生涯忘れることはないと私に教えてくれたのであります。
最後に、私が九州で手掛け、実を結びはじめた三つの仕事をご紹介したいと思います。
その第一は、2014年秋に開催された九州国立博物館での「台北国立故宮博物院特別展~神品至宝~」をきっかけに、台湾と九州とのつながりがもう一度見直されはじめたことです。双方の厚い信頼関係があるからこそ九州で実現した展覧会には、10月7日~11月30日まで55日間の開催期間中に25万7千人が来場し、九州と台湾はお互いに知名度をあげることとなり、経済・文化・芸術・スポーツ・映画・音楽・ガラス工芸などの交流がより一層活発になったのは嬉しい限りです。
第二は青少年の交流の定着、拡大です。先に述べた「日本精神」の第一ランナーを務めた「日本語族」や台湾に生まれながら敗戦のために日本に帰らざるを得なかった「湾生」と呼ばれる人がともに高齢となり、交流の希薄化が危惧されるなか、次を託すべく進めてきた高校生の修学旅行が盛り上がりを見せ始めたことです。総領事に就任以来、福岡と大分で計3回の台湾修学旅行セミナーを主催し、九州一円の高校にこの意義を説いてきたところ、2014年12校1,200人、2015年19校2,200人、2016年30校5,000人と増え続け、2017年は40校7,000人に達する見通しとなりました。
第三は、国立九州大学における「台湾研究講座」が、10月10日ついにスタートする運びとなりました。台湾の教育部(文部科学省に相当)はこの講座のために多額の助成をしており、西日本における台湾研究の拠点として、必ずや日台の歴史や文化の相互理解を進め、次の時代の交流に資するものと考えています。これらのことがこれまでの交流の良い点を承継するのみならず、それを越えて新しい交流を生み出すきっかけとなることを期待したいところです。
お陰さまで私も来年夏には定年退職を迎えます。これが私の任期内最後の国慶節での挨拶になります。2013年4月の着任以来、友好交流の実績を着実に積み重ねてこられましたのも、偏に本日ご臨席の皆様の格別のご支援の賜物と深く感謝を申し上げます。皆様方におかれましては、これまで以上のご支援とご協力を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。
結びに、台湾と九州山口の関係の益々の発展、および中華民國台湾と日本国の国運隆昌、ご臨席の皆様の益々のご健勝とご多幸を祈念いたしまして、私の挨拶に代えさせて頂きます。どうも有難うございました。